2ntブログ

10

05

コメント

スマホの消えた日

皆様お久しぶりです、とはいえ閲覧されている方々は同好の士か、少数のこのブログを見てくださっている方でしょうが。

だいぶ間が空いてしまいましたが汗、久しぶりに題材が見つかったので筆を執ります。


今朝起きると・・・

皆様はスマートフォン略してスマホ・・をどのように日々活用しているでしょうか?スマホはかつて携帯電話がではじめたころから考えるととんでもなく多機能に進化しで私の場合電話以外の用途にもっぱら小型PCとしてほぼ毎日といっていいほど持ち歩いています。
ff376361.png

まさに「相棒」といってもいいほどにスマホと過ごす時間は長いかのように思われます。電話はもちろんあらゆる調べもの、娯楽便利なアプリ・・・とその利便性を考えると次から次へと具体的なものが浮かびますよね。この文章を読んでいる方にもスマホと離れられない方が多いのではないのでしょうか?そんなスマホですが・・・・今朝起床、さて家を出ようとしたとき、いつものようにスマホを手に取ってみると・・・・・充電が14パーセント・・・・!?もう、家を出なくてはならない充電している暇はない・・・!という状況に陥りまして、本当にもう時間がなかったのでえいっ!今日は一日スマホなしで過ごしてやる!!と自宅にスマホを置いたまま家を後にしました。この時スマホがないデメリットがいくつか頭をよぎったのですが。逆に久しぶりのかつてのようなスマホのない一日というものに少し新鮮な気持ちを私は抱いていました。


スマホに毒されていた私

さてスマホがない一日が始まったわけですが・・・・ここで私がスマホに毒されていたことが浮き彫りになるのです。まず、少し「隙間時間」ができますと、なんだかものすごく手持無沙汰な気持ちが私を襲ってきます。スマホにどことなく手を伸ばしたいという欲求が私の中でふつふつと湧くのです・・・・・未だスマホがなかったときいわゆるガラケーで基本的に電話以外に用途がなかったときは、少なくともこのような気持ちはありませんでした。ああ、私はスマホの存在を思った以上に大きな存在に捉えていたんだな・・・・されていたのだな・・・・と早々に思い知らされました。これ以外にも、何か疑問に思えばスマホで検索したくなったり。いやはや、慣れは怖いものです。ここを見てくださっている方にも、心当たりがあるのではないのでしょうか?


文明の利器が奪ったもの

スマホは本当に便利です。使えなくなれば不便さは非常に引き立ちます。しかし便利さが隠してしまったものがあったようにも思えました。まず隙間時間ですが。最初はスマホがないためにやきもきしましたが、ないならないで景色を眺めたり、つぎに何をしようかなどと今後の予定を立ててみたり、原始的な時間の活用ができるといいますか。機械に触れることのない素朴な時間経過を体感することができているように感じました。ここにきてスマホがない一日というのも悪くないなぁと思い始めたようです。そしてもう一つ体感できたことは目が疲れないということです。スマホの小さな画面をスマホをもっていればちょこちょこ見ますし画面を眺めている時間はすべて合わされば相当なもの、しかし一日それがなかったので目のこわばりといいますか疲れがだいぶ緩和したように感じました。こうやって考えるとスマホは。人間が通常享受できるはずの素朴な時間と視力という二つの重要なものを我々から奪っていっているようです。


スマホなき一日も悪くなかった

表題のとおりスマホがない時間を過ごすというのもスマホが浸透している今であるからこそ新鮮に感じることができました。それ以上に動物としての人間は文明の利器がなくとも、十分生きていけるのだなと実感させられました。とはいえ、現代は文明の利器スマホ以外も含めて)が根深く組み込まれた社会であるために。我々は決してそれから逃げることはできないのでしょう・・・・・・・現実的な話をすれば一日連絡に関する手段が私の場合スマホがないせいで完全に立たれていたため、もし私がスマホを仕事に必要不可欠なものとしていたのなら、スマホを持ち歩かないというだけで大損害でした汗
42217463_480x479.jpg

皆様も敢えてスマホに触らない日を作ってみてはいかがでしょうか?何か発見があるかもしれませんよ!

08

27

コメント

廃墟じゃないのに廃墟みたい

無料ブログというものは一定期間更新がないとよくわからない広告が出てきてしまって、たとえ筆者が書く気満々であったとしても廃墟のようになってしまう、広告が出ているのと出ていないのでは、ブログのイメージも大きく変わってくる。とはいえ、ブログは片手間だからこそ面白いと思っているので。広告を出さないために頻繁に更新するのもなんだかな・・・と思った今日この頃である。

まあ、書きたいことを書きたい時に書くのがブログですよね(保身
b1f74ef5.jpg

最近ヤンデレについて考えてみるに、世間のヤンデレのイメージが本来のヤンデレの形から少しずつ変化してきているように思えます。最近のヤンデレは「対象を愛しすぎて奇行に走る美少女」みたいなイメージが先行してきているような気がします。「ヤンデレ」はなんだか怖いものであるとかキチガイじみているだとか、変な方向がクローズアップされているよなと・・・・そういった、要素は物語の中で強烈なキャラ付けになりますし、ある意味勢いで押し込めるのでクローズアップされるのはわかります。が、本来ヤンデレというものは主人公に対する純粋で深い愛が見どころであるわけで、そちらの方をより大きく取り上げてほしいものです。




なんでヤンデレ好きなんだろ?

まあ、ヤンデレに対する要望は色々とあるわけですが・・・ここ最近自分自身なぜヤンデレが好きなのか考えることがありました。私はいわば「ぼっち」に属する人間でそれゆえ、誰かとともに時間を過ごすことがありません。その結果誰かと深くかかわりたい愛されたいという、気持ちが心のどこかにあるようです。そのようなバックグラウンドがあったうえで忽然と私の前に現れ私の心を掴んだもの・・・それがヤンデレであったわけです。

色々とヤバいような気がしますが、まあいろいろあって生まれた嗜好であるわけですから仕方ないですよね笑
ヤンデレのキャラクターは主人公を深く愛していますしそれを見ていてウヒウヒできるのが楽しいところです。と・・・私は基本的に主人公と自分の同一化はしません主人公は主人公の人格を認めてアニメや漫画ゲームを楽しんでいます。私自身は第三者、世界の外から物語を見ているために、~は俺の嫁!!的思考はなかなか理解できません(面白い考え方だとは思いますが)私はヤンデレヒロインに私自身を見てもらいたいのではなく誰かを愛し狂っているその姿を見たいのですよね・・・フヒヒッ




私の二次元作品の眺め方の結果に

私の第三者的な物語の見方はそれすなわちアニメでもゲームでも物語やその作品自体が面白いと思えなくては、入り込めないという弊害があります。キャラクター単体が可愛かったりしても何らかの物語ができていないと面白いと思えないんです。キャラクターとキャラクターが関係しあって何らかの物語があるそれが私の心の琴線に触れる最低基準なのだと思います。最近の(特にアニメは)作品は私的に見てキャラクターを純粋に愛でるものが多いこともあって、なんだか残念な気がします。魅力的なキャラクターをただ愛でるだけではもったいない、そこから笑いでも恋愛模様でも生み出せれば最高だと思うのですが。



叫びたい大声で

私は狂おしい恋愛作品を望んでいます。そこに出てくるヒロインはぜひともヤンデレであってほしい。暴力殺傷な頼らない純粋なヤンデレで・・・!!悶えたい!!

でもそんなもの今はどこを探してもないんだなぁ(泣)
LISA99_MBA20141018102742-thumb-815xauto-17984.jpg

07

25

コメント

極善極悪はあるか?

どうも皆様こんばんは。

皆様は自分は良い人間か悪い人間か?どのようにお考えでしょうか、自分は清廉潔白だと思われる方も心の中には獣を飼っていたり・・・・・人と単純に悪いやつ良いやつでは表せないものです。



とは最初は何色なのだろう
AXIS_sinyorino14055125-thumb-autox600-18627.jpg

自分自身の善悪について考えてみますと、皆様どうでしょう自身とは善なのか悪なのか。多くの人々は自分が悪人だと思って生活している訳ではないと思いますが。かといって善人とも思っていない。非常にあいまいな感情が返ってきそうです。しかし、日常生活を送るうえでは俗にいう悪いことを行っている人はごまんといますし。良いことを行っている人も存在するかつこの両者は一人の人間の中に同時に存在しうる事柄です。こう考えますと善悪を色として人間はどちらの色をしているのでしょうか?
こういう話をしていると性善説や性悪説なんかな話が出てきそうですが。そういった話は致しません、私は人間の色はどんな色かわからないというのが答えだと考えています。完全な悪人もいませんし善人もいません。しかし善人と悪人の要素を同時に持つ存在が人間だと思います。

皆善人にして悪人

私は日々生活していると「この人はいい人だな」と思いながら「クズだな」と同一の人間に対して真逆の感情を抱くことが多々あります。あるときには良い人ある時には悪い人・・・それ自分にとって都合の悪いことをされた時とそうでないときと対応しているのではないかといわれそうですが・・・・汗(たしかにそれはあります)しかし、完全にそうではありません。私が同一人物に真逆の感情を抱く時には、本当にその人はその時々でまったく違う言動行動をしているように感じます。こういった人間観察から人間はやはり黒い悪の自分と白い善の自分があるようです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さっきから書いていて内容のソースが「自分が思う」や「考える」といった自己完結でまったく内容に説得力がない!!!!!

ただ言いたいことは人間は都合よく善い自分と悪い自分を使い分けているのでは?ということです。特に自分の生活の中を見ていると思うんですよ。ああ・・・・私いま完全に悪人だわぁ・・・よっしゃ!!良いことしてるぜ!!と善悪混同した日々だなぁと、でもそんな中でも私たちどことなく自分は善というイメージを持っていませんか?(私の文章は問いかけが多いような汗)自分は悪いことをしていないから善良なんだ!と・・・そんなイメージを持っている気がするんです。(私だけかもしれませんが)でもそれは、勘違いだと思うんですよ。自分を善良と思うということはそれ自体自分の悪い部分に目をそむけているのではそう自分というものを反省してみてみると感じる訳です。

極善極悪はあるか

私は善悪は人に快感をもたらすものだと考えます。例えですが善行で誰かを救えば心が満たされるはずです。悪行で誰かを苦しめるのも(不謹慎ですが)快感です。極善であればきっと善によって得られる最高の快感を得られるでしょう極悪もまた然り。しかし、両者の快感は同一の物でないことが味噌です。善を極めたものには悪の快感は例えそれが得られる最低のものでも究極に感じるでしょうられるでしょう・・なぜなら人間はまだ見ぬ快楽に弱いのですから・・・・これまた逆も然り。人間は得られるものを放棄することは決してしません従って貪欲に両者の快感を求め・・・善を求めて極めようとすれば悪に惹かれそれは達せられません悪を求めれば善に惹かれ最後にしくじります・・・・よって、どちらか片方を極めることはできないと私は考えます。

結論・・・・・・・人間はゲームのように極善 極悪の存在には規定されない!!!!!!(知ってた
MS251_memotonewsp-thumb-815xauto-15243.jpg
人間はメモ帳!内容によっては良いノートにもデスノートにも!!   う~む内容が一貫していない・・・・泣

次回はもっと内容をしっかり煮詰める必要がありそうです。汗 しかしこの記事を気に自分の内面の善悪について考察していただけると・・幸いです(・・・・・ふざけた内容でえらそうなこと言ってすみません

うう・・・・・・書きたいことがしっかり頭の中でこうせいできていないと支離滅裂泣

07

17

コメント

う~ん・・・・ここだけの話・・・・

皆様こんにちは!今回は本当にここだけの話です。この記事を見てくださっている方にだけ・・・・・・・・・・

ヤンデレを少しなりとも感じられる。私的作品紹介をしたいと思います。え?それが何故ここだけの話かですって?何故かって・・・最近ヤンデレの作品少ないじゃないですか・・・・ってか普通に
ヤンデレに出会いたいと思っていても絶対に出会えません、それが今のご時世・・・・!!

そんなヤンデレ作品をこの記事を読んでくださる数人にのみお教えすることになるので・・・ここだけの話なんです!!でも、ここだけの話ですから絶対にほかの方に広めないでくださいね絶対の絶対のぜえええええええええったいに広めないで!!(真意を読み取ってくれぇっ!!笑

もうね・・・私は最近ヤンデレなくて本当に怒ってるんですよこのブログの標語「ヤンデレよ!もう一花!」です。今考えましたキリッ

さて、それじゃあ張り切って作品紹介に移っていこうか!!(オーヽ(*´∀`*)ノ.+゚

clear_0007pl.jpg
「エロ本を捨ててから兄の様子がおかしい」

見た目はヌキゲー然としていますしコンセプトもまんまヌキゲーなのですが・・・・・この作品の黒髪ショートのヒロイン、なんだか狂った感じのヤンデレの波長確かに感じさせていただきました。正直以前の記事でもちょっと話したように。該当ヒロインが主人公の所謂「妹」であるため若干「キモウト」ではないか?という懸念はありますが。ヤンデレもキモウトもジャンルとしては起源を同じとするもの(深い愛という意味では(勝手な見解ですが汗)だと思いますので。この作品を押します!しかし、あくまでヤンデレを感じられるというだけで、納得できるヤンデレかどうかは微妙です。正直私には足りませんでした。

51kXfKMzKaL__SX353_BO1,204,203,200_
「うわこい」(漫画)
すみません・・・エロゲ紹介したかったのですが。作品が少なく漫画も紹介させていただきます。この作品「うわこい」はストーリは割愛しますいわば浮気物語です。で、ヤンデレヒロインはこの画像の主人公の幼馴染さんです。とはいえ包丁持ちだす系の安直な猟奇感がありますので。評価は分かれそうです、しかし深い愛といものは感じられるはずです。補足としてはヤンデレはワンシーンしか感じることはできないです(それほど短いです)頑張って三巻まで読んでください。あとここではあえてこの作品を紹介していますが私はヤンデレ作品が少ないのでこの作品を紹介しているだけで、決してそれに満足してヤンデレ最高!!と思っているわけではないので悪しからず。(;^ω^)

あれ・・・?まだ紹介する作品あったはずなのですが、ど忘れしてしまいました。読んだりプレイしたりその時々で「おっこれはヤンデレでは?」と思うことがあるものの、チョイ役だったりしてどうしても記憶に残りにくく・・・・う~む出てきません。今日は紹介はこのくらいで・・・また思い出したり出会ったりしたらご紹介しますね。

では、ここで私のヤンデレ論を
ヤンデレとは何か

それは至高にして至福究極の属性です。こういうこと書くと「基地外?笑」などと言われそうなのですが、そうですヤンデレを語る時の私はキチガイ入っています。しかし、キチガイ的思考でヤンデレを語ることでヤンデレの少なさに対するストレスを発散していますでゅぢゅひゃあhっはあああっはああ!!笑笑
\(,,・,,ω,,・,,)/ヤンデレ論語ってないですし汗

解るかぁヤンデレの深きが尽くし尽くせずそれ故に狂うその姿すばらしいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ
ヤンデレには決まった形は無い・・・・とはいえ至高の形はあるはず。かつてヤンデレが日の目を浴びたときはその至高に近きものが描けたからだと私は思う。あれから・・・それなりの時間がたったが・・・・まったくヤンデレが出てこない出てきても香りづけでしかないはずの猟奇や狂気のみが目立ちそれ=ヤンデレの構図ができつつある・・・いやできている。まあヤンデレ的要素を含んでいることは否定しないが・・・・しまっせんが!違う違うんですよ本来のヤンデレは猟奇は狂気は味付け注目すべきはその深い愛健気に尽くす姿怖いほどに相手を思うからこそ狂うんです。そしてその様子を見て楽しむんですよ!!


あああああああああああああああああああああああああああ足りない足りないのだあああああああああああああああああああああああああもっとヤンデレを!!ヤンデレのシナリオを!!安易に武器持たせないで!!独善的な愛はやめて正直ヤンデレのゲームがエロゲがやりたくてたまりません。うーんヤンデレに造詣のあるライターはいらっしゃいませんかね・・・・・?

自分で最高のヤンデレヒロイン作れば?と言われそうなのですが・・・自分でいくら最高のヤンデレヒロインを作ろうと面白くないんです。すべてわかりすぎてしまいますから、ネタバレした作品をやっても面白くないようにやはり私は誰かの作った物語をヤンデレの物語を楽しみたいです。まだ見ぬ自分の振れぬヤンデレを感じたいんです。

何度も書きますがヤンデレ作品に心当たりのある方・・ぜひお教えください

教えてくださいませ泣ひょおううういいいおおおおおおおおおおおいいhっぐううううyyもう本当に本当にヤンデレ作品無いんですよ泣ヤンデレ楽しみたいよぉ

て私何熱くなってるんでしょうね(。・ω・。)書いててかなりやばい人間だなと自分自身思いました。
ではまた次の記事で・・・・今度はヤンデレ内容書けないかな・・・作品話題がなさ過ぎて・・・・・・・泣 ではヾ(・д・。)

07

13

コメント

自分は酒を飲まずとも酔える

うう・・・・・自分で自分を保つのは難しい・・・・・・・!!


己の在りか

「私は私です。」日常生活の中でそんなことを考えることはあまりありませんよね。なぜなら、私が私であるなんてことは考えずともあたりまえなことです。しかし、ほんとにそうなのか?・・・・・・・・・この記事を読まれている方々の中には自分がどこにいるのか、そんなことを考えたことのある方はいらっしゃいませんか?かくいう私は、それをよく考えることがあります。私は人に言われることはないですが、場合によって、まったく様子の変わる人間です。具体的にはある時は寡黙で無愛想、しかしある時は明るく・・・・時に真面目一徹時にだらしなく・・・・それは相手その場の環境によって変わるのですが、私の場合それが極端ですので、自分というものを見失いそうになります。私は見事に人によってイメージがまったく違う人間だと思いますし、そう思われているようです。それはその人とかかわる私自身も感じることです。ああ、この人たちの前では自分Aだこの人の時はBだと・・・しかしそれは人によって態度を変えているというレベルの物ではありません、もはや人格、思考の変化といっても差し支えないもので本当に自分が何人もいるような気分になります。皆さんは自分というものをひとつの人格として日々その一つの自分で生活しているのでしょうか?私は少なくとも三つは自分があります。それ故にある自己の時の行動を冷静になって考えてみれば行き過ぎたことをしたなぁ・・・・と後悔することがあります。

陽気な性格Bの時
20080131184947.jpg


私は自分がこの人とは話せる!!とある種(本当に開いているわけではないですが)心を開いた相手だと、いろいろ会話をするのですが、その時の自分というのは本当に軽く酔っ払ったような自分の時でして、冷静な時の自分なら話さないようなこともいろいろ突っ込んで話したり、行動をとったりしてしまいます。自己分析してみますと私は寡黙で暗い性格である人格Cであることが多いのですが、その反動で少し話せる相手の前となると、過度に陽気になったりするのかもしれません・・・・・陽気で明るい性格Bいいじゃないか。と思われる方も多いかと思いますが。その性格も私自身なのですが少なくともそれが本来の自分であるか?といわれるとそうではありません。きっと、・・・いや事実性格Bで居続ければ心が疲弊してしまいます。性格Bも私そのものなのですが、それは、どことなく演じた自分で(演じている意識は全くありませんが)ある気がします。

性格Cの時

少し話したように私は暗く寡黙で・・・ある種人格の破たんしたようなこの性格Cであることが多いです。この時の自分は本当に何も無関心で虚無感にあふれています。悲しい性格ですが私はこの時の自分と付き合いが長いです。この性格は初対面の人間やプライベート外でかつあまり心を開いていない相手の前で現れ、思うにあきらめや失望あらゆる負の感情が)にじみ出ていると思います。しかし、これは防御の性格であらゆることに無関心になる代わりにあらゆる苦しみにも無関心になれます。なんだか悲しくはありますが私はこの性格で心の崩壊を防いでいます。なんで、こんな性格が生まれ出たか?それはひとえに今まで生きてきた経験によるものだと思います。私はその経験の結果として人間というものを心から信じることができていません、別に人間が嫌いだ!などということではありませんしかし、心のどこかに人を疑い続けている「自分」がいるんです。それ故に私は人と深く関わろうとしてもできませんしそもそも、心が開けませんそんな人間が世間からどう見られるか・・・・変人は常に奇異の対象ですし、気も弱いので。意見の主張もできません。根暗のレッテルですね。。。。汗こうなると(まあ私が悪いのですが)いろいろ馬鹿にされたり心労もおおく・・・・性格Cは私の防御壁なのだと思います。
46349832.jpg


本当の私「性格A」

誰にも気を使わず本当の自分といえる「性格A」(便宜上ではありますが)はひとりの時や完全に心を開いた相手にのみ表見する性格です。自己中心的で楽観的な性格ではありますが、これこそ本当の私だと自分の中でも思っています。しかし、この性格は主人格であるにもかかわらず私の場合性格Bや性格Cに抑圧されています。本当の自分である時間がどうしても短いんです。なぜなら、人間は普通他者と関わって生活しますのでどうしても基本は性格CやBの自分でいる時間が長いからです。そんな生活をしていると本当にどの自分が本当の自分なのか?わからなくなってきます。暗い自分が本物か陽気な自分が本物か?主人格は本当に主人格なのか???多くの人々は自分の性格は一つだと思います。しかし私の場合は日々を一貫した性格で過ごすことができていません。それ故に思うのです。私の本当の心(性格)の在りかはどこなのだろうと

ヤンデレ全然語ってない・・・・・うむぅq(`∀´;q)
ただ、ヤンデレ以外のことで記事を書きたくなる・・・!そんなこともあります。私思うのですが一人称と口調変えるだけで文面ではかなり性格変わりますよね。ってかもう長文書くのつかれたわ・・・まあ俺もいろいろあるから暗い感じの記事が多くなるんよ・・・・・・・・・・
みたいな感じで「です。ます。」口調を無くすだけでも全然違います。次は一人称変えて、もっとエキセントリックな記事書こうかな・・・
ヾ(・д・。)

プロフィール

歌麿

Author:歌麿
どもども!皆様ほのぼのやってますか?
ふざけた記事や私の願望など面白おかしく趣味全開でやっていきます(笑

ツイッターもやってます
Twitter : @shirokanesan

漆時計

ツイッター

QRコード

QR

訪問者数

ブロとも申請フォーム

Designed by

Ad